生きるという事

皆様 お早う御座います。
祥衣です。

私は今宮島へ向けての精進潔斎に入っております。
《迦音》で神様との向き合い方や感謝の気持ちの現し方を沢山伝えて頂き、自身でも潔斎をせずに参拝していた頃と、身も心も綺麗にして神様に向き合う時との違いを経験、体感してより素直な気持ちでごく普通に潔斎に取り組める様になってきました。
今では、個人的に参拝させて頂くと決めた時も先ずは潔斎から始めています。

そうなると、一年の内の殆どが精進潔斎の生活になってきています。
結果的に口に出来ない食材が冷蔵庫からひとつ消え、二つ消え......。それが当たり前になると苦痛では無くなり買い物をする時にも手が伸びなくなってきています。
潔斎生活を行ってみて改めて感じるのは、巷に溢れるお料理の情報や様々な知識を当たり前だと疑っていなかった事、この食材が無いといけない、今これを食べないといけない、と思ってしまっていた事です。

生きて行くという事は、日々何者かの命を頂くという事です。
これは、避けられない事実です。
お金さえあれば、なんでも手軽に手に入れられる世の中になり、手に取った食材の命の重さも軽く感じさせてしまう世の中に怖さも感じる様になりました。

《今の自分は、目の前にあるこの食事(命)に値しますか?》以前、美怜先生から伝えて頂いた言葉です。

毎日、口にする様々な命に対して心を真剣に向けた時に、とても値する様には思えずショックを受けたのを覚えています。

でも、生きているとお腹は空くのです!
ショックだからと絶食して自分を虐めても何の解決にもなりません。地球という星の食べて食べられする大きな循環システムの中に私もいます。今は食べる側にいる私もいつか土に帰って微生物に食べられるのだと思い至りました。
では、どうしよう?と考えた時に
必要な物を必要な分だけ大切に丁寧にお料理して「有難う」の気持ちで頂く事が、私が今できる事だと感じます。
まさに精進潔斎の心と行動ですね。
たかが潔斎、されど潔斎です!

皆様も日常の身近で些細な事から思いを馳せて見られると、また違った世界が見えてくるかもしれません。
是非、お試しください。

最後までご覧頂いて有難う御座いました。

富沢祥衣




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