リトリート報告③ ラスト「きづき」

こんにちは。
木曜日担当の咲那です。
11月に入り、すっかり寒くなりました。いかがお過ごしでしょうか。


        木も秋色


2回に分けて、ヨガリトリートの事をリトリートに参加できなかった方にもどんな場所で、どんなことをしたのかお伝えしたいなぁという思いで書いていました。

今回は、ラスト「気づき」です。

前回、ヨガの意味で「つなぐ」という意味があることを知り、魂と身体と心の関係が前より深く理解できた、と書きました。

理解できた、と思いましたが、では実際どのように理解したか書こうとすると、

ううんんん…

となってしまいます。

なので、拙い文章になりますが、どうぞお付き合いください。

みなさまは、身体と心、そして魂の関係に疑問をもたれたことはありますか。

私は、今まで身体は魂が入る借りものという感覚はあったのですが、心のある場所については、どこにあるのか表現できるほど理解はしていませんでした。

今回の座学で美怜先生は、身体と心は飛行機✈️で、少し離れて客観視している自分が「本当の自分」(魂)と説明してくださいました。

このことをふまえて、前回の、ヨガ編で貼り付けたSting『Let Your Soul Be Your Pilot』この曲を聞き返してみると、本当の自分(魂)が、パイロットなのではないか、と思えるのですが、みなさまはどう思われますか。



魂については、今回インド哲学も学んだので、専門用語で詳しく解説してくださいました。ここではわかりやすいように魂と一言で表記しますね。




そして、心は、「例えば、臓器のように身体」の一部である、と教えてくださいました。

なるほど~、と思いました。 

そして、心や身体は「移りゆくものである」ということなんです。 

「移りゆくもの」に対して、魂は「変わらないもの」


そりゃそうだ、赤ちゃんなんて、さっき泣いていたと思ったら笑ってるし、コロコロ変わる。 

身体だって、10年前の自分と今では、顔にの皺が刻まれ、回復力だって緩やかだし…そんなの当たり前だって思いますよね。

でも、忘れてしまいそうになりませんか。

例えば、ものすごく嫌なことや悲しいことがあった時
ずっとそのことに引っ張られてすごしてしまいそうになる…

いま、自分の事より、家族が自分の助けを必要としていて、それは子育てだったり、介護だったり、さまざまだと思いますが、そんな日々が永遠に続くんじゃないか、とふさぎ込んでしまったり…

逆に、過去の栄光ばかり思い出して、いまが昔に比べて嫌すぎて、昔の方が良かった、とずっと思ってしまったり…

そう、なにかと、強い感情に執着してしまいます…


今回、リトリート中に、心は、「移りゆくものであること」つまり、執着する必要のないものだと落とし込めた時、

「たかが…何々」と思えたのです。

そう、たかが悲しみ、たかが怒り、
なんです。

わたしは、じつは、ユタさまのことについてはあまりにもプライベートなことだったので、今回blogに書くことを避けました。

というのも、私が疑いもなく良いことだと信じてしていた行動が、無知からくる間違いであった事を、指摘いただいた時に、物凄くショックを受けてしまい…、どうしよう…これからリトリート楽しめないかも、と思うほどでした。

でも、次の日、ブッパで大笑いしています(笑)

この切り替え、が大事なのでした。

だって移りゆくものですから。


リトリートの最後には、毎回先生が、一人一人にアドバイス(プチセッション)と参加者の方々が感想を話す時間があります。

話すことは、感想でも何でもよくて、みな思い思いのことを話します。

また、この時間は他の人のきづきを聞き、シェアし、自分の理解を深める大切な時間だと思っています。

わたしは、いつも、自分自身がこのリトリートでなにを得たかを知るために、ふりかえる時間を持ちます。


走り書きのメモ

そのときに、浮かんだのが、「それはそれ、これはこれ」でした。


実際に、悩みやいろいろなことを抱えていると、自分を客観視することを忘れそうになります。

でも、今回はかなり、ヨガを集中的に行い、心と身体を操縦して大切なことに気づく、思い出す、という訓練が経験できたと思います。

自分の移り行く感情を客観視すること


自分に起きていることは、ある意味、自分の心を投影して映像化されてみている、みさせられているに過ぎないということ


そして、間違いに気がついた時に修正すれば良い

誰かに迷惑かけたら、素直に謝ればいいだけのこと、なのですね。


帰りに寄った鶏飯のお店で
ナイスタイミングで、背中をおしてくれます


リトリートという非日常において、日常の中に大切さを気がつくことがあります。

私たちが身を置いている大半の時間である日常があるからこそ、非日常がこれまた楽しい、と思うのでした。

迦音では、大きなリトリートは、今年はこれでおしまい。

しかし、年末には、いつもの御礼参りが控えていると思います。

美怜先生が、また考えてくださっているので告知を楽しみにしばし待ちたいと思います。

これで、リトリートのご報告はおしまい。 

季節が、秋から冬へ移動するように、植物たちは冬への準備中。

いまは、冬の間にしたいこと、そして来年に向けて始動していきたいことがたくさん浮かんでおります。

みなさまも、冬支度そろそろはじめていますでしょうか。


どうぞきょうも良い1日をお過ごし下さいね。

長岡咲那



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