気づきの種
皆様 おはようございます。
祥衣です。
いよいよ明日は節分です。
今日から節分に関する祭礼が催行される寺社仏閣も多いのではないでしょうか?
1年の中でも大切な節目の祭礼です。是非氏神様まで足を運んで頂いて日々の感謝参りをなさって下さいね。
節目の時期になり私の周りでも心身共に不安定になっている方に出会う事が多くなっているのですが、そんな方々をみると思い出す経験があります。
以前私は、子供達の言葉にならない声を聞くボランティアをしていた時期がありました。今は時間的に参加が難しくなりましたがまた参加したいと思う活動でした。
対象となっていたのは学校に通っている年代の子供達で学校や公共機関から配られたカードを通して電話がかかってきます。かかってくる電話の9割はイタズラ電話なのですが、その中に救済を求める声が稀に混じってきます。
電話の向こうで一言も発せず押し黙る誰かとの対峙は、僅かな時間でもとても長く感じる本気のやり取りでした。
基本的に聞くことに徹するので、こちらからあれこれ問いかけたりはしません。
なので、沈黙の後プツリと電話は切れてしまいます。
本気で対応する気があるのか見定めるかのような気配を感じます。
同じ人物かは分かりませんが、その後も無言の訴えは続く事が多かったです。
無言でも、まだ電話をかけてくれるだけマシで本当に切羽詰まった状態の子達は、ここにはいない事も続けていて感じました。
私達はただ聞くだけ、寄り添うだけで実際何も出来ません。
心の重い荷物を降ろすことが出来るのも、思い込みだったと気がつく事が出来るのも当事者です。
私が迦音で学びながら少しづつ出来ている様に、私の周りの方達にも気づきの種が確実にある事を発見出来ます様に今日を過ごしたいと思います。
生きとし生けるもの達が弥栄であります様に。
惟神霊幸倍坐世
富沢祥衣
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