死ぬということ

皆さんこんにちは!
迦音アンバサダー陽万莉です。
タイトルが「死ぬということ」とタイトルだけみたらビックリしてしまいますが、私事ですが週末に主人の祖母が亡くなり、改めて人は「死ぬ」んだということを思い知らされたので、今日はそのことについて想うことをblogに書きたいと思います。

祖母は96歳の大往生で、最後の最後まで二足歩行で認知もなく、孫もたくさんいたのに、名前も間違わず、亡くなった週も今思えば虫の知らせというやつで、同居のお義父さんと一緒に家族みんなでおばあちゃんに会いに行ってたんです。その時も私の息子の名前も間違わず「下の子がこんな大きくなったんか~」と次男を撫でてくれたし、長男が「おばーちゃん大好き!」と抱きついたら「おばーちゃんも大好きよー」と抱きしめてくれてました。

なのでその数日後に「ばあちゃん倒れて今、集中治療室や」ってお義父さんから知らせをうけた時には本当に信じられなくて、思わず「ウソでしょ!?」と言ってしまいました。
亡くなってからは、本当にバタバタとお見送りのセレモニーがあって、おばあちゃんの人徳でたくさんの人が駆けつけていました。

お別れの時間では、おばあちゃんのお子さんがみんな「感謝しかない」「ありがとう」「ありがとう」とみんなおばあちゃんの顔を撫でながら号泣していて、棺の中のおばあちゃんは色とりどりのお花にかこまれて、赤ちゃんみたいな顔でスヤスヤと眠ってる様でした。
千楓さんもblogに書かれてましたが、美怜先生が教えてくれたネイティブインディアンの言葉で「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい。」

まさにその言葉通りの人生だったおばあちゃん。

お見送りの日も二月とは思えない晴天で春の様な暖かい日で、親戚縁者一同大集合でこの時に迦音で教わった学びの中で先生が仰ってた「お盆やお正月の親戚の集いとか煩わしい、めんどくさいと自身が思ったとしても、御先祖様レベル、家系レベルではものすごいヒーリングが起こってる」って、あぁこの事なんだなと痛感しました。

親戚の中には私自身が心底合わないから会いたくないと思ってる人もいますけど、この時ばかりは合う合わない関係なく大集合で、話とかしなくても、「なんだろう心が暖かい」とヒーリングを真髄から感じることができて、それも含めて「おばあちゃん、ありがとう」と思いました。

あの人数をあの場に集めることができたのは、おばあちゃんだからこその偉業だなぁと思い、おばあちゃんの様に美しく死にたいなぁと思いました。


生きているとつい忘れて、遠退いてしまうみんな等しく「死ぬ」ということ。迦音ワークでいつも気づかされています。そんな迦音 須弥塾のHPも立春から更にパワーアップされてますので、ぜひ覗いてみてくださいね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

瀧井 陽万莉

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