心のトリガーポイント

こんにちは。咲那です。

1日、1日とこの1年が終わりに向かっていますね。

昨晩散歩で見上げたお月さまは、明日の満月に向かいつつある様がきれいでした。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、トリガーポイントという言葉があります。

ざっくりいうと、体表上の圧痛を伴う筋肉のしこり(硬結)。肩こり、腰痛や膝痛の原因となる。

そして、私には、心のトリガーポイントといえるような、言葉があります。

特に家族に言われてしまうと、あたま真っ白になり、何かのスイッチがはいってしまうことば。

兄が私を兄のように稼いでいない、子供を育てていないので、認めていない、といわれること。

だいたい、そういうときは、
あなたには言われたくないわ、という感情が入ります。


そして、私にも、兄に対してずっと思っていることがあります。

兄として認めていないということ


おそらくこれは、双方のトリガーポイントなのですね。

どちらが最初に言ってくるか、たいていは兄の言葉を受けて、発してしまうのですが、でもそれでは泥仕合…。

毎回、後悔と反省でぐったりして終わります。

本当は言いたくないのです。




しかし、今回気がついたのですが、自分が言われて傷つく心理の奥には、必要以上にそのことを恥じているのではないかなと思いました。

この場合、稼ぎのないことや、母親でない私、を私自身が必要以上にとらわれている…

先ずは私が、このトリガーポイントをほぐさないとなりませんね。

そして、手放さないと結局、自分で自分を傷つけていることになるのだろう、と思うのでした。

もう一つ。

私自身が、この彼に対する、兄を認めないという思いを捨てないと、この後悔を伴う泥仕合は永遠に続く、と思うのでした。

たまに、自分というものを大きな視点、俯瞰でみる、その感覚を忘れそうになります。

例えば、実家のゴタゴタした面倒くさいことを、自分の日常を犠牲にしてまでやってしまう傾向があります。

身体はクタクタ、心もいっぱいいっぱい…

でもそこまでやってしまうと、今度は、「私が!」どれだけ兄の為にやってきたのか、という認められたい欲求が顔を出してきます。

そう、「ありがとう」のカツアゲをしたくなります。

だから、なにごともクタクタになるまでしない事なんだと思います。

ちょうど良い加減を目指す

さらに、

執着しない、忘れること

なのかな、と。

未来は今の自分の積み重ねだと思います。

でも、今日は、今日という新しい1日がはじまっている。

昨日は昨日。

その感覚で生きていければ、私も、もう少し軽やかになれるのかな、と思うのでした。

最後に、もう一皮剥けたかったのか、ふと映画ジムキャリーの『イエスマン』を思いだしました。

わたしは基本的に兄弟間は、争い事はしたくないです。

これはずっと変わらない。

では、仲良くなりたいか…と問われると

否定的な言葉を発っしそう…

でも言いたくないから黙ってしまう。

その時、おもいっきりジムキャリーに寄せて、

「イエス!」と言ってみました。 

家族が笑いだし、これはいける!と思って3回くらい繰り返してみたら自分もまわりもおかしくなっちゃって、その場が一掃されました。

再び映画を観てみると、大切なメッセージもちゃんとありました。

お時間あるときに観てみてくださいね


どうぞ今日も良き一日をお過ごしください


長岡咲那








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