苦い経験から大切にしてること

こんにちは。咲那です。

みなさまいかがお過ごしでしょうか。
関東地方では、台風の影響で千葉が本日
も断水、停電のようです。
どうか、早急に復旧できますように…



週末に、長野までドライブして、ハーブ屋さん、カフェ、あと、『わざわざ』というお店に行ってきました。どのお店もとても気持ちが良くて、カフェでは、カエルに遭遇して思わずその可愛らしさにパチリ。

そんな、気持ち良いお店を訪ねて、昔、私が料理屋で働いていた時の苦い経験を思いし、きょうはその失敗談を書きたいと思います。





20年も前になりますが、当時調理のお仕事をしていました。

お店は、精進料理のお店で、夜のコースのみです。席は、カウンターとお座敷でしたから、襖一つで、区切ったり、一部屋貸し切りにしたりと、自由がきいて、和室の良さを活かしたお店でした。

集客数は、最大一部屋貸しきりで23人くらいの大きさでした。席だと、お客様の組み合わせの人数にもよりますが、大体6組~8組とカウンターのお客様、といった感じです。お店を開けたら、オーナーがほぼ一人で調理し、お手伝いとして、1人か2人、下ごしらえや、給仕をその都度誰かがいる、といった小さなお店でした。

私は、1年、丁稚奉公みたいな感じで働きました。
基本的に、オーナーさんが全部できるので、手伝う人は誰かしら出入りしていましたから、一定の人を必要としていなかったお店でした。
なので、長くは続かないとだろうな、と思ったけど、どうしても、そこで働きたかったのです。
それは、彼の料理が素晴らしかったからです。

彼の料理にかける情熱とダイナミックな盛り付け、お味、全てが初めての経験といっていいほどおいしい料理でした。

オーナーさんは、すごく厳しかったです。
彼もまた、修行中は、お師匠さんから厳しい指導を受けたのだろう…と思います。
お店は、男性でも、1日で逃げ出す厳しさでした。雑巾も飛んできます。

さまざまな方が出入りしましたが、そのうち、なんとなく私ともう一人の方とで組むことが多くなりました。

働き出して少しすると、彼の性格が少しずつ理解できて、そのうち私は、働かせてください、とお願いしたのにも関わらず、彼に対して、「絶対に心を開かない」と決めてしまいました。

なぜ、そう決めたかというと、心を開いてしまうと、ずけずけと土足で入られそうに思ってしまい…怖かったのです。

私は、どちらかといえば、天然と言われることが多く、天然発言をしてまわりの皆が笑って和む、そんな感じですから、いわゆるいじられキャラなんですね。

彼のいじり方は愛情がなく、もし、私が彼の前で泣いたら喜ぶだけだ、と思っていました…。

そして3人いれば、2対1で何が起こるか、想像できますね…。

そんな殺伐とした雰囲気がありました。


それでも、仕事は一生懸命、真面目にしていました。でも、だんだん、自分が彼らの感情のゴミ捨て場になってる、そんな風に感じることが多くなり、慣れない東京での生活にも疲れて、夜遅くにお店から帰ってきても、ストレスで眠れなくなってきてしまいました。



1年近くになるころ、心の中に、そろそろやめたい気持ちも出てきました。
そんな時に、私のミスで、右手の指を火傷をしてしまいました。

疲労困憊で思考が動かなくなってしまったのでしょう。乾いたティッシュで蝋燭の火を消そうとしたのです。火が燃え移ったティッシュを直ぐに放せばいいものを、手洗い場までもっていき、結果、重度のやけどです。

その火傷をした時に、お二人から「俺達の、私達の負担を考えろ」と怒られてしまいました。

そこで、心がポキンと折れてしまいました。

指を火傷してしまったので、当然当分飲食店でのお店では役には立ちません。
私は、火傷を機に「やめます」と言いました。

もちろん、許されないことですよね…。
2人体勢が長くなっていたのです。

でも頑張る気持ちが、もう残っていなかったのと、この人達、自分の事しか考えていないのだな…と思ってしまったのです。

いま、当時を思い出して書いていますが、その後、火傷をしたのに、お店に来て欲しい、と言ってくれました。そこにいるだけでいいから、と。

でも私は、限界まで我慢してしまったので、完全に心のシャッターは降りてしまいましたし、拒否反応しか残っていませんでした…。

その後、お詫びの手紙を書いて、借りていた作務衣を返しに行きました。

数年後、偶然スーパーでお会いし、遠くで会釈しましたが、返ってくることはありませんでした。

わたしの苦い経験です。

去るときに飛ぶ鳥跡を濁さず、ができず、濁しまくって逃げてしまいました。

でもその時は、それが精いっぱいでした。

今思うと、私も、不眠が続き、ストレスがたまった状態での動きは機敏ではなかっただろうし、そんな、状態で一緒に働いても、二人も苛々していたのでしょうし、おまけにいつも、うわべの笑顔でしたから…

彼が、火傷した指でも、来るように言ってくださったのは、このまま終わるのは後味が悪くなってしまう、と思ってくださったのかもしれない、と今は思います。

そして、これは、私側からみた状況であって、彼らからみた私というのはまた違うとおもいます。



だからこそ、今、どんな状況で出会った方にも、それが一瞬の出会いであったとしても、気持ちよくいられるような態度で接したい、と思っています。

そして、仲間、と呼ばれる間柄においては、誰かが一人寂しい思いをさせてしまっていないかな、と気を配ってしまいます。


私はそのオーナーのもとで、沢山の学びがありました。
人間関係において、いろんな苦い経験をして、だから、今、本当に人に対して気持ちよく接することが出来るのだと思います。

そして、彼のもとで、調理の様子を日々日々目の当たりにできて、五感を磨くことが出来ました。接客することにより、お客様の様子を観察して、お店の流れを掴むことが出来るようになりました。そして、人をアシストするのが好きな事も気がつきました。
大変だったし、辛かった、悔しいこともたくさんありましたが、こうやって思いだしながら書いていると、感謝の気持ちでいっぱいになります。



私の20代は、才能が全ての時代だったような気がします。
才能がある人は、くせも強くて、よく、才能と人柄は別物、といわれたものです。

でも今は、まず、個人で活躍している方がたくさんいて、そんな方々同士でまた面白お仕事をしています。
人と人が繋がり、コラボレーションの楽しい時代だと思います。

そして、昔だったら、東京と地方の差が大きくありましたが、いまは飲食店に関しても、田舎にいても、都会と同じレベル、コスパの良いお店が増えました。

そうなると、みなさまは、何を基準に選びますか。

わたしは、やっぱり接客が気持ち良い処へ通ってしまいます。人柄って大切だと思います。


それにセンスの良い方々が、東京に限らず、地方にも増えましたね。

週末に行ったハーブ屋さんと『わざわざ』は、知っている人は知っている、メディアにも出ているお店です。そして山や田んぼに囲まれていて、言わゆるアクセスの悪いところにありますが、開店と同時に人でいっぱいになります。


そして私の周りにも、才能があり、人柄も良いそんな方がたくさんいます。

自分もその中の一人でありたいと思います。

みなさま今日も良き一日をお過ごしくださいね

長岡咲那

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